ペダルをこいで野をめざそう

自転車で気分転換、クラシックギターに挑戦

ある推測

シェーカー教徒が作った有名な椅子について考えてみました。

質素にして厳格、禁欲を重んじたシェーカー教は、建築や家具にいたるまでその主義を

貫きました。そうして出来た食堂椅子です。挽き物を使った部材の組み合わせと簡素な

座面、唯一後ろ脚の先端のデザインだけが装飾感を感じさせます。

それにしても脚の傾斜が気になりますよね。

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生活面でも非常に厳格だった彼らは、使っていない時の椅子は壁に掛けておきました。

床をクリアーにしたかったのでしょう。椅子を壁に掛けるとは、どういう事でしょう?

上に、ぽんち絵を書いてみましたが、こんな風にしていたようです。

壁面と後ろ脚で構成される三角形で安定した納まりになります。ここで素朴な疑問が?

前脚まで傾斜させる必要はないのでは?そのような発想であれば、普通の安定した構造

の椅子になっていたかもしれません。僕の推察ですが、彼らは座った時よりも壁に掛け

た時の姿の方を重視したのではないだろうか? 簡素さを求めた結果、脚は全て平行に

使用時も壁掛けの時も、座面と貫は水平になっている事が視覚的に重要だったのでは?

後ろ脚の傾斜が最優先されました。脚先のデザインも装飾ではなく壁面を保護するため

の形状だったのではないでしょうか。僕たちは椅子を見ると、座り心地とか壊れにくい

構造とかを考えます。一方で価値観が全く異なる世界では、優先順位が違ってきます。

僕らから見ると不可思議な椅子も、彼らからみれば極めて必然性があるのでしょう。

彼らが僕たちが使っている椅子を見たら何を思うでしょか。

彼らの、質素で簡素で禁欲的な価値観からは、贅沢でややこしくて装飾華美な俗物と

見られるでしょう。でも、それは仕方ないのです。僕たちは、彼らのような生き方は

出来ません。一つの価値観だけで生きては行けません。結婚すら否定した彼らの社会は

期せずして絶えていきました。僕たちは俗っぽい世界に生きています。でも一つの価値

感を強要されることもありません。それだけに多くの価値観の中で、自分の価値観を

どのように維持していくか・・・難しいですね。

脚の傾斜のナゾ・・・・あくまで僕の推察でした。本当の理由はなんでしょうね。